京都地方裁判所 昭和63年(ワ)932号 判決 1991年6月04日
原告
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
高田良爾
同
高山利夫
同
竹下義樹
被告
滋賀県
右代表者知事
稲葉稔
右訴訟代理人弁護士
小澤義彦
右指定代理人
平尾武詩
外四名
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金二七〇万円及びこれに対する昭和六三年四月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、速度制限違反で現行犯逮捕され、警察署内で全裸にされた上で身体検査された原告が、大津警察署員の逮捕行為はその必要性がなく、また全裸にしての身体検査は法的根拠に基づかないもので、いずれも違法であるとして被告に対し、慰謝料金二五〇万円と弁護士費用二〇万円の合計金二七〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日からの遅延損害金を国家賠償として請求した事件である。
一原告は、興和タクシー株式会社に勤務するタクシー乗務員であるが、昭和六三年四月一一日午前一一時三二分ころ、滋賀県公安委員会が設置した道路標識により最高速度を毎時四〇キロメートルと定めた大津市桜野町<番地略>先市道において、右最高速度を毎時二二メートルを超える時速六二キロメートルの速度で普通乗用自動車を運転したが、同日午前一一時四〇分、折しも速度違反取締中の警察官に現行犯逮捕され、同日午後〇時三分大津警察署に引致された。(<書証番号略>、証人松宮、原告(第一回))
二そして、原告は、大津警察署内の一階取調室において、所持品の検査を受け、ズボンのベルトを初めすべての所持品を警察官に手渡した後同署内の留置場に入れられたが、留置場に入れられる際、看守係の警察官から着衣を脱ぐように命じられ、下着もパンツもすべて脱いで全裸となり、身体検査を受けた。その後、原告は、着衣して留置場に入り、取調室における取り調べ等を経て、同日午後七時五〇分前ころ釈放された。(争いのない事実、証人中村、原告(第一回))
三争点
1 本件現行犯逮捕は適法か否か。
2 原告を全裸にした本件身体検査は適法か否か。
第三争点に対する判断
一争点1について
1 証拠(<書証番号略>、証人松宮、原告(第一、第二回))によって認められる事実は次のとおりである。
(一) 滋賀県大津警察署交通課巡査部長松宮廣義、同課巡査部長小泉辰夫、同課巡査村林一寿(以下それぞれ「松宮」「小泉」「村林」という。)の三名は、昭和六三年四月一一日午前一一ころから、大津氏桜野町二丁目一一番一号先市道において、レーダースピードチェッカー(松下製EY-O二OC型、以下「レーダー」という。)を使用して速度違反の取締りを実施していた。
(二) 同日一一時三二分ころ、速度の測定及び違反車両の停止を命ずる係を分担していた松宮は、びわこ競輪場方向から南進する白色乗用自動車を追い越して進行してきた原告運転の普通乗用自動車(タクシー営業車、登録番号京五五え四二一九号、以下「原告車」という。)が明らかに速度違反と認められる高速で進行して来るのを現認した。そこで、松宮は原告車の速度を測定すべくレーダーのリセットボタンを操作し、表示部の数値を消去して測定可能状態であることを確認した上原告車及び表示部を注視していた。すると、原告車がアンテナの約七〇メートル手前の地点に接近したとき、レーダーが速度違反を計測した旨の警報音を発するとともに表示部に「六二」と表示され、その数字が記録紙に印字された。松宮は原告が最高速度を二二キロメートル超過していると判断し、直ちに赤旗を道路上に差し出し停車合図をした。
(三) ところが、原告車が減速することなくそのままのスピードで進行してきたので、松宮は道路中央に飛び出して赤旗を大きく振ったところ、原告車は漸く急制動して松宮の位置から約三〇メートル通過した地点で停車した。そして、松宮と村林とが原告のところに駆けつけ、村林が原告に対し、速度違反であること、後方のマンション前の空き地まで後退させて欲しい旨告げたのに対し、原告はエンジンを作動させたまま窓は少し開けた状態で村林と視線を合わせようとしなかったため、村林が重ねて同趣旨の告知をしたところ、原告はやっと不承不承「ちょっと出ただけや」などと、弁解し、軽くエンジンをふかして今にも発進しそうな態度を示した。そこで、村林が原告車の前方に進み出て右手を差し出し、発進を阻止した結果、原告は止むなく右空地まで車両を後退させた。
(四) 原告が空地まで車両を後退させた後、松宮が改めて原告に下車を促したのに対し、原告は荒々しく「仕事が忙しいんや、こんなもん位で止めるな」などと弁解と不満を繰り返していたが、松宮による再三の説得に応じて漸く下車し、車両のエンジンをかけたままレーダーの置いてある測定場所に赴いた。松宮らは原告にレーダーの「六二」と記載された記録紙を示して、レーダーの説明及び二二キロメートル超過速度違反の説明をしたが、原告は取調車両の付近を歩き回るばかりで計器も記録紙もまともに見ようとせず、興奮状態で、「前の車を追い越しただけや」「ちょっと出ただけや」「機械の測定なんか信用でけへん」「こんな場所でしてもいいのか」「測定法に誤りはないのか」「これがわしの車の速度とどうして分かるんや」などと言い分を声高に繰り返し、松宮らの説明に取り合わなかった(なお、原告は、六二メートル超過していると松宮らに言われ、二二キロメートル超過の事実は大津警察署の取調べのときにはじめて説明をうけた旨供述するけれども、証拠<書証番号略>によれば、原告は過去五年間に同種(速度制限違反)の交通事犯だけで四回検挙されていることが認められ、レーダーの記録紙が原告車両の表示していることは十分認識していたと考えられ、このような事情に照らすと原告の右供述はにわかに信用しがたい。)。
(五) 松宮らが説明を一旦打切り、免許証の提示を求めたところ、原告は突然駆け出してその場を立ち去り、後を追い掛ける松宮に対し免許証を車に取りに行く旨叫んでエンジンをかけたままの原告車に乗り込み、下車しようとしなかったが、松宮らの再三の説得に漸く下車し、免許証を手交した。しかし、原告は、取調べのためのパトカーヘの乗車要求を無視してその付近を歩き回り、取調べに応ぜず、かえって取調べに対する不満を怒号する有様で、小泉、松宮らのパトカーへの乗車要求を拒否し続けていたが、急に道路の反対側にエンジンをかけたまま駐車してある原告車の方向に足早に歩きかけた。そこで、松宮はこれを制止したが、なおも原告が原告車の方へ行こうとするので、松宮らはやむなく逮捕する旨を告げて、前記のとおり原告を現行犯逮捕し、大津警察署に引致した。
2 刑訴法二一七条に定める軽微事件以外の現行犯逮捕の積極的要件は、逮捕される者が現行犯人であること、すなわち「現に罪を行い、又は現に罪を行い終わった者」であることである。法は、逮捕状の請求を受けた裁判官が逮捕状を発するときの消極的要件として、「明らかに逮捕の必要がないと認めるとき」を挙げている(刑訴法一九九条二項但し書。刑訴規則一四三条の三)が、現行犯逮捕についてはそのような規定はない。
このことは、何人でも現行犯人逮捕ができることとあいまって、現行犯人が現場から立ち去ってしまい、犯罪捜査が困難となったり過誤が生じたりすることを防止する目的を重視し、現行犯逮捕の段階では逮捕要件を暖和して、犯人逮捕による公共の利益を優先させていることを示すものということができる(憲法三三条参照)。
しかし、右消極的要件が規定されていないからといって、権限の濫用にわたるような場合や、明らかに現行犯逮捕の必要性がないと認められる場合まで無制限に逮捕が許されるものでないことは理の当然である。
これを本件についてみるに、前記認定事実によれば、原告は、松宮らに対し運転免許証を交付し、同人らもこれにより原告の身元を確認しているものの、その前後の経過において、警察官の捜査活動を揶揄したり、松宮らに対して暴言を吐いたり、取調べに応ずることなく、エンジンをかけたままの状態にした原告車に突然戻り、速やかに下車しないなど、逃亡目的に出た行動と解されても止むをえない態度に終始しているのであって、これらの事情に照すと、本件現行犯逮捕に際し、松宮らに権限の濫用があったとは認められないし、現行犯逮捕の必要性がないことが明らかであったのにあえて逮捕したものとも認めることはできない。
3 してみると、本件現行犯逮捕は、適法かつ妥当になされたものと解するのが相当である。
二争点2について
1 証拠(<書証番号略>、証人中村、原告(第一、二回))によって認められる事実は次のとおりである。
(一) 昭和六三年四月一一日午後一時四五分ころ、村林が原告を留置場内の身体検査室に連行し、大津警察署看守係巡査中村孝二(以下「中村」という。)が収容前の身体検査を行った。
(二) 中村が身体検査室内において原告に対しまず靴を、次に着衣を順次脱ぐように命じたところ、原告は靴を脱ぎ、上着等を逐次、手早く脱いでいったので、中村は同室内の机の上でそれらを一々点検していると、原告が中村に対し、横向きになりながらパンツを膝くらいまで脱ぎかけて「パンツもか」と尋ねた。
(三) そのとき、中村は、予め原告に窃盗、詐欺等の前科がかなりあることを聞いており(実際、原告には窃盗、詐欺等の前科が四犯存在していた。)、また原告の左肩に竜の入れ墨があることや原告の歩き方や態度からかなり留置慣れしており暴力団組員であるのではないかとの疑いを抱いたことなどから、原告が危険物を隠し持っている蓋然性が高いのではないかと考え、原告がパンツを脱ぐのを別に制止せず「おう」と言ってうなずいた。
(四) そして、中村は、何か隠し持っているならば振れば判ると思い、脱いだパンツを二、三回振れと命じたところ、原告は四、五回振ったが、異常は認められなかった。そこで中村は全部着衣するように原告に命じ、原告は点検の終った着衣を順次着用した。
2 ところで、被疑者を留置するに際しての身体検査(監獄法一四条、警察法一二条、被疑者留置規則八、九条参照)は、被留置者の自殺、自傷等を未然に防止して留置施設内における規律の保持及び被疑者の公正かつ適切な処遇を確保するために実施されるものであり、証拠の発見、収集等の目的でなされる捜査手続の一環として行なわれるものではないから、刑事手続に要求される令状主義の適用はないと解するのが相当であり、刑訴法の各規定(同法二一八条、二二二条等)に基づく身体検査令状がないからといって全く行うことができないというものではない。もっとも、国民の基本的人権は最大限尊重されなければならず、適正手続の要請(憲法三一条参照)からしても留置に際しての身体検査が無制限に行われてよいというものではないから、前記の目的のために必要な限度でこれをなしうるものと解すべきである。特に被疑者の肌着、下着を脱がせ全裸にして行う身体検査については、危険物等を隠匿しているおそれがあることにつき合理的な理由がある場合にのみ許されると考えるのが相当である。
これを本件についてみるに、原告は、交通事犯の被疑者として現行犯逮捕されたものであって、しかもタクシー運転手という正業に従事しているものであることは認められるけれども原告には、窃盗、詐欺等の前科がかなりあるのみならず、左肩に竜の入れ墨があり、歩き方や態度もかなり留置慣れしていたことから、中村が原告を暴力団組員であるのではないかと考え、原告が危険物を隠匿している可能性が高いと判断したことは客観的にみてなお合理的な理由があるというべきである。
3 したがって中村の判断により肌着、下着まで脱がせて行った本件身体検査は、適法かつ妥当になされたものと解するのが相当である。
(裁判長裁判官堀口武彦 裁判官奥田哲也 裁判官杉浦徳宏)